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千葉大学講義|2020年1月7日

働くことって、なんだかんだで人生の大きな部分を占めるもの。その人の生き方を、形作っていくもの。

じゃあ、その「働く」ことのなかでも、いちばん大切なことって、なんだろう?
 

「地域における起業を語る」というテーマで開かれた千葉大学の講義。ごはんクリエイトの野口が、学生たちを前にお話ししてきました。
18歳で料理人の世界に入り、この20年で見てきたこと、考えてきたこと。そんなことを「地域とともに歩む起業家」という立場でお話してきました。
その講義の全文を書き起こしたのがこの記事です。

落ちこぼれの高校時代から、極限までセルフブラック化した料理修行時代…、他にはなかなかないお話が展開します。

ごはんクリエイトの野口と申します。

今日は千葉県木更津市から来ました、ごはんクリエイトの野口と申します。
「起業についてちょっと語ってくれ」っていうことだったので、僕、外食産業なんですけど、なんで僕が起業したのかとか地域ビジネスだったりとか、どういう経緯でそういったことをしてるのかということを話させていただこうかなと思っています。よろしくお願いします。

 

えっとですね、自己紹介を交えながら自分の経歴と、あと起業や地域ビジネスの話に入っていこうかなと思うのですが、まず僕は、37歳です。千葉県木更津市に生まれ、高校を卒業してすぐ、18歳で料理屋さんに入ります。
まずどんな学生だったかっていうと、僕は大学に行ってないんですけど、小学校、中学校とも野球とかバスケットボール、スポーツにすごく熱心な学生でした。で、勉強はどうかっていうと、まったくやってなかったです(笑)。
高校に進学するってなって学校を選ぶじゃないですか。その時にようやく、自分はあんまり勉強してないっていうことに気付くんです。

将来への不安

一緒にバスケットボールをやってた仲間たちは進学校に行くんですね。「おまえも一緒に行くのか?」って仲間たちに言われたときに、「俺、行けるのかな?」と思ってちょっとやってみたんだけど、学校の先生に、「おまえはその学校は受けないほうがいい。もっと違うところがあるだろ?」って、すごくやんわり言われたんです(笑)。
要は、頭がついていってなくて、で、「あっ、俺はバカなんだな」っていうことに気づいて。

 

高校に進学するんですけど、どんな高校だったかっていうと、ABCの歌があるでしょ? 1年生の時の英語の授業、そこから始まるんですよ。数学の授業は足し算から始まりました。
そういう学校に行って僕が感じたのは、将来への不安なんですね。

で、不安になった僕が何をしたかっていったら、諦めました。将来、何もやりたくないな、と。「大学に進学したい」っていうことをまず諦めました。で、就職、働くっていう行為も諦めちゃうんですね。
それで何をしたかっていうと、その現実と向き合うのがイヤなんで、毎日遊びました。毎日毎日遊んだ結果、えー、高校3年生になったときにまた迫られるわけです。

「どうするんや?」と。

「いやー、なんもやらないっすね…」と。

そしたら学校の先生に「おまえは手先が器用だから料理をやってみないか?」と、「こんな就職口あるぞ、紹介してやるぞ」と。

料理の世界に入ったものの…

で、入ったのがホテルの和食厨房でした。

和食厨房に入るんですけど、入りたくて入ったわけじゃないから、やる気のない18歳。
料理の世界ってちょっと特殊で、やりたくて入ってきてる子たちってけっこういるんですよ。料理好きで就職します、みたいな。そういう子たちと競っていくと、また挫折するんですね。だって、やる気のない僕とやる気のある彼らとではぜんぜんレベルが違うから。
同期の中には、専門学校を卒業して調理師免許を持ってるやつもいたりとか。そこと比較されて、またどんどんモチベーションが下がるわけですね。
その時はモチベーションっていう言葉もなかった。ただやる気のないやつ。
でも僕は稼がなきゃいけないっていう状況があった。

というのは、家があんまり豊かな家じゃなくて。お金に対しての貪欲さはすごくありました。

初任給12万円。内緒で副業バイト。

働いて正社員で入ったんですけど、給料は12万円ぐらい。初任給ね。これじゃぜんぜん家にお金を入れることもできないし、自分も遊べない。
それでどうしたかというと、アルバイトもしました。
労働時間どれぐらいかっていうと、ホテルは朝食の仕事があるので、朝は5時半、夜は9時ぐらいまで。その間にだいたい4時間ぐらいの長い休憩があるんです。

4時間あれば昼寝できるし、昼寝できればまあなんとかなるだろうと思って、ホテルの仕事が終わった後、夜の10時から翌3時ぐらいまでアルバイトをしてた。これで稼いだのが8万ぐらい。合わせてだいたい20万ぐらい。
で、今みたいに副業が許される時代じゃなかったので、僕がこうやって働いてることは誰も知らなかったです。知られてないからこそ、ある偉い方の目にとまって。

休憩時間にいやいや修行

どういうことかというと、4時間というお昼の長い休憩時間に「修行しろ。もっと勉強しろ」と。

すごく可愛がってもらって。お魚のおろし方とか、お味噌汁の作り方とか、そういうのをみんなが休んでる最中に教えてもらうんですね。
でもそのときもまだまだ僕はやる気がない。

みんなが昼寝したりパチンコしたり、海が近かったんでサーフィンしたり釣りしたりっていう環境下で、僕が一人だけ残されてお米の研ぎ方とかをやらされるんですね。
で、そうこうするうち、なかなかやる気にならない僕をそれでも1年ぐらい諦めずに育ててくれたその方が、引退するんです。当時60歳手前ぐらいの方だったので、定年退職です。

で、僕もそのお世話になった方が辞めると同時に辞めました。

もっと上手くなりたい! 猛修行で寝ずに働く。

辞めてどうしたかっていうと、「おまえはもうちょっと修行した方がいい。板前として生きていくなら魚をもっと覚えた方がいい」ってその方に言われていたので、お鮨屋さんに行くんですね。
お鮨屋さんに行って、ちょっと料理が好きになってきたころで、またいろんな親方、先輩に教わることができて、どんどんどんどん料理が好きになっていくんです。
まだまだ起業とかそういうレベルの話が出てこないけど、このお鮨屋さんに入った頃は、それまで腐ってた自分が少しずつ料理に興味が湧いてきてた頃。

でも、お鮨屋さんって出前がすごく多いんですね。僕、料理人として入ったけど、出前の配達とか接客係みたいな仕事ばかりしてたんです。
「これでは包丁も握れないし技術も学べねえな…」って。

エネルギーの行き場がなくなってた時に、すごくいい先輩に出会うんです。その方がいつも深夜まで残って教えてくれたんです。
そういう人たちの愛っていうか、そういうものに触れて、僕もようやく真剣にやろうと思い始めました。

そこから、いろんな地域に行きます。お休みのたびに他の厨房に行ったり、時間があればご飯を食べに行ったり。自分の時間を使って勉強しに行く。仕事づけの毎日。これがすごく楽しくて。自分のモチベーションも高いから、めっちゃくちゃ集中力があるんですよ。
どういうことかっていうと、ほんとに寝ずに働いてました。

どんどん技術欲求が高くなっていって。お魚を10分でおろしていたものを5分でおろせるようになったとか、だんだん技術が伸びていくことが快感になっていく。

これを25歳ぐらいまでやってた。
でも働きまくってたんで、あるとき体が動かなくなっちゃったんですよ。

2週間、寝たきりになる。

どういうことかっていうと、家に帰らなかったんですね。厨房の中、キッチンの中で寝泊まりしてた。それぐらい仕事欲求がすごかったんですよ。今だとセルフブラックっていうんですかね。

でも、それだけやってきたから技術はすごくついた。でも、体がついてこなくて壊れちゃって。
このとき2週間くらい寝たきりみたいになるんです。頭は起きてるんだけど体が起きてない。
その2週間の間、いろんなこと考えたんです。

「料理したいんだけどできないし、今後どうしようかな」みたいなことを。
で、僕が寝込んでるときに同期の子たちが旅行に連れてってくれたんですよ。そこでその子たちと話してるときに、僕は「ああ、料理はもう無理だな」ってなって。
実は、一回料理の世界を辞めてるんですね。

辞めて何をしたかっていうと、そのときも僕はまだまだお金が欲しかったんで、「すぐお金になるものってないかな?」っていうので道路の工事現場で働いたんです。

でも3日目に「これは僕には無理だ」ってなって、辞めちゃいました。
この「体が動かなくなった」→「辞めるって決断した」→「違う業界へ入っていった」→「でもやっぱり料理をしたい」っていうのが25歳くらいのときにありました。

居酒屋に転職する

でも、やっぱり体が壊れるくらいやってきてるから、すぐに戻るのが怖いんですね。

それでどうしたかっていうと、その寝込んでた時に考えていたのが、「この業界って若い子が入ってこないな」ってことでした。

かたや居酒屋さんに行くと若い子がけっこう働いている。みんなの周りでも居酒屋さんでバイトしてるっていう子がけっこういると思うんだけど、板前さんって呼ばれる和食の世界って、若い子がいない。
そこにちょっと疑問があった。

「どうやったら若い子が入ってくるんだろうな?」って考えてたんで、一度居酒屋で働いてみようと。

 

それで、25歳でアルバイトを始めるんですね。居酒屋さんにアルバイトで採用していただいて、そこの会社で自分の事情を説明して。1年後に復帰するお店も決まってたんですね、赤坂の料亭でいいところがあって、そこに復帰する予定だったんです。

そのことを説明して1年間だけっていう条件でアルバイトを始めたんです。

料理長になる

で、その1年が終わろうとするとき、社長と、その当時料理長になるって言われてた方に「お世話になりました」って挨拶に行くんですね。

そしたら、「この会社は今事業の転換期で、今後もうちょっと拡張していきたい」っていう社長の思いと、当時料理長になる予定の方からは夢を語られ、「もう一年付き合ってくれ」と言われまして。
で、僕はちょっとそのビジョンに共感して、また1年、今度はアルバイトしてではなく「正社員としてやってみます」と。
ということで、その会社に就職することにしました。
そしたらですね、その2ヶ月後ぐらいに、僕にあれだけ夢を語った料理長が辞めちゃうんですよ。あんなに夢を語って僕を引き止めたのはあなたでしょ? あれっ? っていう話で(笑)
そこで社長から僕に「料理長できないか?」っていう相談がくるんですね。でも僕、その会社で1年アルバイトしただけなんですよ。僕より先輩いっぱいいるんですね。

「まずその人たちの賛同を得ないで僕が料理長になるのは違うんじゃないですか?」っていう話をして。

そしたら先輩たちが、「野口くんがやるならぜひ協力するよ」と。

もう、びっくりですよ。なんで社長がそれを僕にやってくれって信用してくれたのか?

あとその、社歴も古い年も上の人たちばかりだったんですよ、僕が一番若かったんですよ。正社員としてその会社に勤めたこともなかったのに、それを「応援するよ」って言ってくれたのが、ちょっとわからなかったんです。
ただ僕、あのー、25歳を迎える前までがめっちゃくちゃ仕事はしてました。どんぐらいかっていうと、もうすでに21、22歳ぐらいのときに30歳に負けないっていう自信があったんです。それぐらいやってた。実際、魚をおろしたりいろんな料理をするとき、先輩に教えるくらい知識と技術があった。

 

その25歳の時はリハビリみたいな感覚でやってたんですけど、その会社にとっては、確かに僕は技術が圧倒的にあったっていえばあった。

ただ人をまとめる力はあるかな? っていう。繰り返すようだけど、年も上だし社歴も上だし、そんな人たちをまとめられるかな? っていう。やったことないし。

で、不安だったんだけど、すごく温かく迎え入れてくれたので、これはもうやらなきゃと思いました。

自分以外の人のことを考える

で、やるんですけど、ここでようやく僕、自分以外の人のことを少し考えるようになります。

今まではずっとお金が欲しいとか、とにかく自分のことだけ考えていた。技術レベルを向上させるっていうのも自分のことなんだよね。だけど、人の上に立つ、人を束ねるっていうときに、これじゃあいかんだろって。まあいい経験をさせてもらったなって思うんだけど。
そのときに思ったんです。料理人と料理長っていうのはぜんぜん違って、長っていうのは、料理ができれば長になれるわけではない。まあ、料理だけで料理長になってる人、いっぱいいると思うんだけど。

でも僕はそう思ってなくて、やっぱりマネージメントとか経営ができなければ。要するにこの会社が僕を料理長に任命したということは、僕はこの会社に貢献しなければならない、と思いました。
貢献って何? って言ったら、売上だったり利益だったりっていうところですよね。それを伸ばすためには経営を学ばなければ、と思いました。

それと同時に、先輩たちが僕を押してくれたんであれば、僕は何で返せるか? お給料還元かな? お休みを増やすことかな? 労働時間の圧縮かな?
この会社ね、労働時間が長いんですよ。お休みも週一とかだったかな。給料もそんなに高い会社ではなかった。

そういうことを、すごく勉強しました。

初めてパソコンを触る

25歳以前は体を壊れるぐらい動かして料理の修行をして勉強して、で、25歳からはめちゃくちゃ頭を使いました。パソコン初めて触りました。自分でパソコンを持ったことないし、学校で情報処理っていうパソコンの授業があったけど、出たことないんですよね(笑)。
また学校の話になっちゃうけど、部活が4時半とか5時半とかに始まるんですけど、それを2時間ぐらいやって、7時半か8時ぐらいに帰るんですね。そこから仲間の家で風呂に入って、仲間の家で飯食って、朝の7時ぐらいまで遊んで、そのあと自分の家に帰って自分の家で寝るんですよ。で、夕方の15時とかに学校へ行く。

だから授業受けてないんですよ。
どうやって卒業したの? っていうと、部活をやってたからなんです。部活をやってれば、おまえはまあいいか…みたいな。そういうレベルの学校。

そうやって守られて生きてきた、勉強しないで生きてきたけど、25歳で初めてパソコンを触って。
その時に経営とか、数字の管理っていうのも覚えて。

あとは「どうやったらみんなが気持ち良く仕事してくれるのかな?」っていうことも考えてた。

自分の給料を下にする

25歳っていう年齢は、ここにいるみんなにとってもそう遠くない年齢だよね。たぶん、25歳になってもあんまり今と変わってないと思う。僕もその25歳の時、あんまり変わってなかった。ずーっと子どもでした。
ここでようやく、いろんな苦労をします。

今度は、自分の苦労じゃない苦労ね。

人が言うこと聞いてくれなかったりとか。さっき、あんなに「協力しますよ」って言ってくれた先輩たちも、いざやってみると、ちょっと不協和音はあるわけ。
その中でどうやって一生懸命みんなでやっていこうかっていうところで、僕がいちばんわかりやすくとった行動っていうのは、僕、料理長だったんだけど、僕の給料を下にしたんだよね。先輩たちにとらせようと。
でも僕はめちゃくちゃ働く。

タイムカード、一回だけ打ったことがあって、300時間ぐらいあった。残業がだよ。1日18時間とかいるんですよ、会社に。

それで社長に、「僕、もうタイムカード打たなくていいですよね? 残業代が欲しくてやってるわけじゃないし」。そのときタイムカード押せ、みたいに言われてたから。それが300時間。

「社長、これ、出せます?」みたいな。

「じゃあ、なしにしよう」って(笑)。

 

とにかく「どう気持ち良く働いてもらえるか?」っていうことで自分の給料を下げたんですね。下げたというか、適正にした。

料理長になるってなったとき、会社からは「50万円でどうか?」って言われたのね。

「まず僕は30万円でお願いします」と。「ほかのスタッフの給料をあげてほしい」と、そういう交渉をしたんですね。

当然、「そしたらまず売上を上げないと」って言われたんですね。

じゃあ「売上を上げます」と。

で約束通り僕、売上を上げたんですね。

売上20%アップ & 労働時間圧縮

ちなみにこの会社、最初からめちゃくちゃ繁盛してるんですよ。

なので今の交渉事をする前は「前年と同じぐらいでいい」って社長から言われてたんだけど、僕120%にしたんです。それも約束して、公言したんです。絶対します、と。

そうなると社長は、今度は僕の言うことを聞くしかなくなっちゃう。
みんなの給料が上がった。

今度僕の望みは何かっていうと、休みが欲しい。

でも僕の休みが欲しいんじゃないよ。みんなの休みが欲しい。

「そのためには設備投資が必要だ」って言って。
要は「今、人がつくってるものを機械に置き換えたりとか正確なレシピにしたりとかすることで、もっと効率よく働けるんじゃないですか?」っていうのを提案した。

そのために設備投資をしていただいて、その結果通り人件費を下げました。
みんなの給料は上がってるんだけど、設備投資をすることで会社のコストを下げた。それで労働時間を圧縮した。

それが1年間で起きたことなんだけど、評価されて、当然会社としてもこんなことやってるから利益がまた伸びるんですよね。

次回へ

株式会社 ごはんクリエイト

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